あの日、私は病院の外の喫茶店でモーニングサービスを頼んでいました。
トーストとコーヒーの朝食をとっていると、急に心の中がさびしい気持ちになりました。寂しい、さびしい、地獄のように寂しい。
母親は10日で死ぬと、医者から言われていました。人が一人死ぬということは、こんなに寂しい気持ちになるのか? と、私は思っていました。
その時、突然携帯が鳴りました。病院からです。
「お母様の容態が悪くなりました。すぐ来てください」
私は走るようにして喫茶店を出ました。そして病院に向かって歩きました。
その時、私の心の中で小さな鈴の音が「ちりん、ちりん」と鳴りました。
「ああ、今、お母さんが死んだんだな」
と、思いました。病院に着いたら、確かに母は死んでいました。
私は号泣しました。父親の死の時は少しも泣かなかったのに、母親が死んだ時は号泣したのです。私は母親が大好きでした。
母親のいない世界に生きているのが嫌でした。
どんな時でも、母親は私の味方でした。
「ゆめみちゃんはいい子だから、大丈夫よ」
と、言ってくれました。私は本当は母親と同時に死にたかったのです。
母親と手をつないで、一緒に死に、一緒にあの世で暮らしたかった。
永遠に母親と一緒に存在したかった。
けれども、そんなことは無理に決まっています。
私は世の中にたった一人残されました。私の味方は世の中に誰一人としていなくなってしまいました。
でも、どんな状態にあっても、人間は生きていかなければなりません。私は親に愛され、愛されることが当たり前だと思っていました。
親からのたくさんの愛情をもらった分、替わりとして、深い孤独を味あわなければならなくなりました。多分生きる、ということは、どこかで帳尻が合っているのかもしれません。
私は一人っ子です。正確には姉が一人いましたが、早くに亡くなりました。そして私の夫も早くに亡くなりました。子供はいません。小説によく出てくる「天涯孤独」という身の上になりました。
「親は先に死ぬのだから」とはよく言われる言葉ですが、死なれてみて初めてわかることがあります。私は文字通り「一人で生きて」います。それはすざましい孤独です。孤独は人の心を殺します。
私の心はとっくに死にました。体だけ死ねずに生きています。体も一緒に死にたい、とは何度も思いました。でも死ねないで生きています。
生きているのが幸せなのか不幸なのか、よくわかりませんけれど、私が生きているのは生物としての本能なのだと思います。
いつか私の心が平和になりますように