愛する人との死別から立ち直るために 今考えること

家族と死別して、天涯孤独になった女性が、統合失調症を発症しながら寛解、少しずつ立ち直ろうとする記録

孤独の足音が聞こえ始めた。ある日、父親が死んだ。

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  • 9年前の12月15日に、父親が亡くなりました。

父親は長く患っていました。

元々丈夫な人でしたが、あるとき、帯状疱疹になりました。

 

すぐに気が付けば良かったのですが、元々アレルギーのある人でしたので

最初の兆候を見逃しました。

病気に気付いた時は、もうかなり症状が広がっていました。

 

普通なら1週間の入院で済むところを1ヶ月入院しました。

そうして、帯状疱疹付きものの直った後の痛みが取れることがありませんでした。

 

そのあと、父親は脳梗塞を患いました。左半身が不自由になりました。

もともと、運動神経もよく、手先の器用な父親でしたので、自分の身体が自由に動かない、

 

ということが、どんなに辛かっただろうか、と思いましたが

父親は一度も病気のことで愚痴を言いませんでした。

 

しかし、介護の手はかかりました。父親は何が何でも自力でトイレに行こうとするのですが、時折、倒れるのです。

 

家中に手すりは付けてありましたが、それでも倒れました。

夜中、起きて廊下を歩く父親を、私は毎晩布団の中から目で追っていました。

 

トイレに自力で行けても、左半身が不自由なため、毎回そそうをしました。

その度に私は、父親の下着とパジャマを替えました。

 

しょっちゅう、高熱を出しました。その度に、入院させました。

9年前の春、父親は高熱を出したので、また入院させました。

 

そして、8ヶ月の入院の結果、その年の12月に、父親は肺炎で死にました。

その前に、私は夫をガンで亡くしています。

 

夫と父親を亡くす、それは自分を守ってくれる人を亡くすことです。

 

その日から、私は私自身を、一人で守らなければならなくなりました。

でも、その時、私には守らなければならない者がありました。

 

それは病弱な母親です。世界で一番好きな、一番優しい、一番正しい

一番美しい、母親でした。

 

不幸なことに私は母親に似ませんでしたが、母親は本当に美人で、優しく

善良な人でした。この母親を守る、それが私を支えていました。