愛する人との死別から立ち直るために 今考えること

家族と死別して、天涯孤独になった女性が、統合失調症を発症しながら寛解、少しずつ立ち直ろうとする記録

小さな頃からの心の傷、友だちの貧乏幻想

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友達の旦那が、今年の春に死んだ。
彼女は長いことお掃除のパートで働いていたのだが、旦那の入院とともに
 
日頃から調子が悪かった腰の調子を検査してもらった。
その結果、腰の骨がすり減っていて、このまま身体を使う仕事を続けると
動けなくなる可能性もある、ということで、彼女はパートを辞めた。
 
そして、半年、彼女はまた働き先を探してきた。
今度は弁当屋だ。
 
「また身体を使う仕事だから、止めた方がいいよ。動けなくなると困るよ」
と、私は言ったのだが、彼女はどうしても、働く、と言う。
 
早朝からの半日勤務で、自転車に30分乗って、勤め先に行くという。
だが、彼女は一日だけ働いて辞めてきた。
 
早朝勤務は無理だった、という。
無理もない朝4時おきで仕事場に自転車で行く、などということが
 
(若くもなくて、身体を痛めているのに)
できるわけがない。
私は彼女に
「やめて良かったね」
 
と、言ったら、彼女は泣き出した。
彼女は、幼い時、家庭にお金がなくて、非常に苦労したらしい。
 
いつもいつも、「お金がなくなったら困る」
と、思っていた、という。
 
子供の頃5円のミカンが買えなくて、近所に「5円貸して下さい」
と、頼んだことがあるという。
 
そんな彼女は、いつも働いていた。旦那さんのお給料も高くはなかったので
子供の学費、とか住宅ローンとかに追いかけられていた、というか
 
自分自身の貧乏幻想に取り憑かれて、彼女はいつも働いていた。
今、貯金の額を聞いたら、普通の暮らしなら、働かなくてもなんとか90歳位まで
やっていける額がある。
 
それでも、働かないと暮らしていけない、と思い込んでしまうほど
昔の貧乏な記憶が彼女に巣食っているのだ。
 

大人は知らないけど、子供の神経はか細い。

 
私は何度も
「お金は大丈夫、なんとかなるよ。大丈夫だから」
と彼女に言った。
 
「ありがとう。ありがとう、大丈夫だよね」
と、言いながら、彼女は泣いていた。
小さいころの心の傷、というのは、時として何十年も人の心を操るものだ。